長男が歩くことを禁止されてから2ヶ月が経過した。

病気が発覚する少し前に彼の歩行に異変を感じて、成長痛?なんて軽い気持ちで整形外科に行ったのだ。

レントゲンの写真を見た瞬間に「これはペルテス病だね」、そう言われた。

初めて聞くその病名。右脚の付け根の骨が壊死していて、治るまでに少なくとも3年、その間歩くことはおろか膝立ちもダメ、そして2年間は入院だと告げられた。

比喩でもなんでもなく、頭が本当に真っ白になった。

あまりにも唐突すぎて世界が変わりすぎてまさに青天の霹靂だった。

2週間後には卒園式を控えていて、1ヶ月後にはたくさんのお友達が待っている小学校への入学を楽しみに夢見ていた少年の衝撃はどれほどのものだっただろう。

涙ひとつ流すことなく「自分はこの足を治したいから入院する」まっすぐお医者さんの顔を見てあの日息子はそう言った。6歳の態度ではないと思った。その凜とした彼の在り方を目の当たりにしたからこそ、わたしはこの衝撃的な事態をすんなりと受け入れられたのだ。

(最初の10日間の寝たきり牽引治療に始まりそのあとは常時装具をつけての生活。痛みがないことが救いではあるけどストレスとの戦いだ)

日々は随分と一変としてしまったけど

あの日真っ白になった私の頭の中、それは予測していた未来がリセットされただけのこと。真っ新なところに今この瞬間を丁寧に積み重ねている(病気という状況でこれしか方法がなくなった)今が、妙に心地良い。

起きる物事が複雑に思えた時、「治すからここにいるんだよ」という息子の言葉が聞こえてくる。その瞬間物事はいつだってシンプルだとハッとする。

だからこそそのプロセスの中で、いろんな感情が巻き起こってもいい、たくさんぶつかってもいい、先なんて見えなくてもいい、そして何よりどんなときでも幸せであっていい、

湧き上がるものひとつひとつを丁寧に受け入れ、今この経験から受け取れるものをしっかり感じていく。

病気は悲しいこと苦しいことそのものではなく、それはただただ貴重な経験としか本当に思えなくて

これは発覚した時から変わらず自分なりに捉えていること。

気づき、感覚、感情はいつだって経験からしか生まれない。

そしてどんな状況や環境であっても自分の中で揺らぐことがない幸せで在るという生き方はむしろ精度を増している。

何が起きても、どうなっても、葛藤すらも、受け入れて楽しんでいく。

これまで自分の中に存在していなかった新しい世界、現実に今は心から深く感謝している。

人生は展開してこそ、だ。

(GWに突如外泊許可がおりて入院してから初めて帰ってきた時。一瞬一瞬が予測つかずだけどそれがなんとも嬉しい日々)