生き急いでここまで来たけどそんな必要なんてどこにもなくて。

4月14日にWEL’Lが6周年を迎え私自身は37歳になった。そんな大きな節目に改めて今のお店の状況と自分自身について真剣に向き合ったとき、どんなに焦っても行動を大きくしても理想の状態にはなれなかったことに気づいた。

(当日は家族で一泊のグランピングへ。恵まれたお天気と最高の体験、ここで随分自分自身が切り替わった)

一人で物事を確立しなければならないという勝手な私の思い込みは自分を前にも進めさせたけど同時に息苦しかったように思う。誰かがいてようやく物事が成り立っていて何が悪いのか。どんな時も自分を信じる力と変化を受け入れ楽しんでいく姿勢さえ自分の力で確固たるものにできれば、あとはなんだっていいじゃない。仲間や助けてくれる人たちがいることは豊かでしょう?

自分が力を注いでどうこうするものじゃないところに執着し、無意識に現実をコントロールしようとしていたことに気づいてしまったとき、今ある全部の想いを手放した。そこから見える世界は想像をはるかに超えてとてもシンプルだった。物事を複雑にし、問題にしてしまっているのはいつだって自分の頭なのだ。

自分で創った空間を、世界を、もっともっと愛でながら味わいながら、自分が本当にやりたいことを常に問いかけそれを丁寧に形にしていく。目の前にくるものが大きくなったり前に進んでいるように思えても初心にあったものを繰り返し繰り返し今この瞬間の自分の軸に持ってくること、これこそが自分を強くブレないものにするのである。

自分の内に矢印を向け続け自分の感覚を丁寧に感じ取りながら一瞬一瞬を濃く深く表現できたら十分すぎる、この相変わらずすぎる自分の願いをかなえ続けてあげればいいだけ。結局自分の軸は変わらないのだと目が覚めたとき、私のそれは木の幹のようにどっしりと太くなりそして深く自在に根が伸びゆきそれと同時に世界に向けて枝葉が軽やかに唯一無二のものとして表現されている、そんな大木のようなイメージが自分に対してできた。それがとても嬉しくて、静かなる歓喜と共に自分自身が自然の存在であることを強く思った。だから今後は物事の選択にそれは不自然ではないか?という視点も取り入れていけばいい。

新たな節目の先も自分らしく満たされながら歩んでいきたい。もっと濃く、もっと深く、もっと自由に。