傷や痛みとは経験であり、見放さなければそれはいつしか自分だけの美しい景色へと変化する。

今回本金継ぎによる修繕のご依頼をいただいたこの龍の絵柄の器は、ご依頼者様のご子息が10歳の時に金沢を訪れた際に描かれたものだそう。

「わたしの宝物なんです」

そう来店時仰られていたご依頼者様はきっとこの器が欠けた時に大きなショックをもったことだろう。

大切なものが壊れる時、人は落胆してしまうが、それでもそれを大切に共にしていこうと思えたなら、時を経てそれはより深い美しさを持つ。

傷を持ち諦めなかったからこそ唯一無二のものになれるのだ。

わたしが金継ぎそのものを宣伝する時に、自分はそんな大切な器を持っていないからというふうに答えられることがあるのだが、ふと、器に限らずともわたしたちは直しても持ち続けたい、使い続けたいと腹の底から思えるものを所有できているだろうか、そんなことを自戒を込めて考える。

安くて便利は慌ただしい現代の私たちに心地よさという恩恵をもたらしたが、なんだか自分自身とそれは乖離しているような気がしていて、ものを自分の一部のように大切に選び使うという尊さを失ったように思う。
簡単に手に入れられたものやそこに想いやストーリーといった神聖な感覚がないものは案外あっさりと手放せるものだ。それは自分自身とはちがうものだからである。

そして大切なものこそ壊したくない、手入れが面倒だからと日常使いをやめてしまうことがどれほど惜しいことか。大切だからと傷つくことを恐れる以上にそれを使う喜びを毎日一瞬一瞬感じること。この感性や感情を積み重ねることが自分だけの美しい人生に発展していくとわたしは信じて疑わない。
だからこそ、ものを「選ぶ」「使う」の先にある「直す」という行為までを想像、欲求できるものを自分の装備品(自分の一部であるような意味合い)にしていくこと。日常のどんなに小さな選択もまずはこの意識が必要なのかもしれない。

”もの”との向き合い方、それは同時に自分の生き方は本質であるか、という問いに繋がっていく。ものを超えて人との接し方や世界との関わり方、内なる自分自身との対話、どんなことにも通ずることなのだと思う。

唯一無二の美しい本金継ぎによるWEL’Lの器の修繕サービス。ここでのプロセスもその経験の中の忘れられない大切な一つになることを願って、心を込めて対応させていただきます。

引き続き是非みなさまの大切な器をWEL’Lにてお待ちしております。