新作のMoi-même(WEL’Lオリジナルアクセサリー)がついに完成した。

いつも感覚のままに自分が美しいと思える形を緻密に創り上げていくのがファーストステップで、今回はデザイナーのSAKI ODAKAが見つけ出してくれたこの角が生えたようなアコヤ真珠をパズルのピースのように動かしてはめていった。この歪さと深みある色味に強く惹きつけられ、それらを実際に並べて広がるさらなるイメージが当初からは全く想像していなかったもので、終始高揚していたのを今でも良く覚えている。このプロセスはなんの枠や制限もないとても純粋なもので、自分の内にある美しいという感覚だけをただひたすらに形にしていく。

そして形が完成してからようやくテーマと名前を決める、今度は言語化が始まっていくのだ。

今のわたしは何を美しいと思い、何を表現したかったのか。後付けのようにも思えるがそれは自分の中で同時多発的に存在している、感覚での美しさと価値観としての美しさ。それを焦らず丁寧に擦り合わせて一つの作品にしていく。

今回の作品の名前は「歪」を意味するdéformer(デフォルメ)と「蝕」を意味するéclipse(イクリプス)。

これは先日の皆既月食を見てピンときた言葉と世界観である。

月そのものの物体で覆われる日食と違い、月食は地球がとなって月が欠けていくように見える、その様を見て実体と表面的に見えているものについて思いを巡らせた。

本当は真ん丸なものがそこにはあるのに、私たちは見えているものだけを信じすぎているのかもしれない。しかもそれを覆っているのが自分の存在ゆえにできる影だと知ったら。時に我々は目の前にある物事において苦しんだり、悩んだり、完全なものを望んでみたりするのだけど、本当にそれそのものは真実なのか。見たいようにものを見る我々は、深いところでは実はそれすらも楽しんでいるのではないだろうか。見えているものが歪んでいるのか、敢えて歪んでものを見ているのか、それはきっと人それぞれの感覚の話なのだ。

論理的なもの言いをしたいわけではない。わたしは作品を通して真理を伝えたいわけでもない。

ただ感じていることに歓喜したいのだ。それがたとえ負であったりマイナスといわれる感情だったとしても「感じる」ということそのものが美しいと言いたいのだ。歪んだものやネガティブなものに美しさも感じてしまうこと、それがあるからこそ自分の存在を感じてしまうこと。本当は真ん丸で完全なのにそれを忘れてしまいがちな私たちが存在していること。それそのもの全てが歪(いびつ)でなんとも美しいのだ。

そんなとりとめもないことを感覚のままに形にしてみた今回のMoi-même。

表面的なものはとても流動的で姿や捉える感覚を変えるけれど

目に見えなくとも物事は本来、非がないほどに真ん丸なのです。

私たちは時々その丸をゆがんだものとして楽しんでいるにすぎず

そのものを美しいと感じてしまうのです。