空間をつくることがたまらなく好きだ。
だけどもっともっとその先、その核にあるものは
美しい(と自分が感じる)ものを見ることがたまらなく好きだ。
お店のレジ裏のこのスペース、あまり機能していなくて
自分がとにかくウキウキする場所にしようと思い切って変えてみた!
(これはリアルなビフォー)
冷蔵庫を引き取ってもらって殺風景になったその空間に
お金に糸目をつけずに好きなもの置いてみよ〜!と意気込んでいたものの
意外とあるものだけで満足いくものになったっていう。
思惑通り眺めるだけで幸せ。
(ディスプレイもついでに)
2月はとにかく心を躍らせることに没頭することを徹底してやっているのだけど
これがすごくものすごく良い。
もちろんあれやらなきゃこれやらなきゃって他のことが頭をよぎったりもするんだけど
でも心が望むことのみを選択する、そう決めて選択してみて気付いたのは
それはほとんど今まで後回しにしていたことだった。
あれやらなきゃ思考の時は、こういった心が望むことにすら目的や意味を見出そうとして、緊急度の低いto doと化すから不思議。
(そして後に後になって、ひどいとやらないで消えていく)
いつも通り自作したこのアートも
額縁自体は商品として扱おうかなと随分前に用意していたのだけど、そこから中に入れる写真を印刷するのに億劫になって触れていなかった。
それはきっと目的が売ることになっていたからなんだと思うけど
今回自分の見たいものを見るためならば、心が躍ってこれらを動かすのは一瞬だった。
そしてようやく額縁を手に入れた時に思い描いていた高揚感が現実になった。
わたしはこの在り方が最高に心地よくて大好きだ。
周りに左右されない自分だけの本質にあるものに触れ続け心を躍らせる生き方が。
人生とは1秒1秒の積み重ねでできている。
そしていつも片時も離さず私たちが持っているものは感じる力、つまり感覚感情であって
どんな感情や感覚の積み重なりで人生を形成したいのか
そういった視点を持って物事というより感じるものを選択していく。
心を躍らせて生きること。
それは自分の本質にあるものに触れることで深く感じるものにあると思う。
いつもいつも世の中の正解はわからないけど
自分の正解だけはわかる自分で在りたい。
もっともっと意味のないもの、生産性のかけらもないこと、他人に理解されないこと
だけど心が躍って仕方ないこと
そんなものに触れていく、そんな繰り返しが良い。