思い立って5日間長野県へ。

きっかけはこれにどうしても行きたい!だった。ここで得られるものがきっとある気がした。

だけど振り返ってみれば、平日の夜が開ける前から荷造りをして車に乗り込む解放された感覚と

(日の出と満月が同時に見られた幻想的なタイミングの出発@逗子海岸を通る車窓から)

家族と一緒であっても道中運転しながら動的瞑想状態に入る喧騒の中で手に入れる孤独な時間がわたしは痺れるくらい大好きで

なんだかんだ世界を拡げる感じるという当初の目的に期待を持ちながらも、自分のよりコアな部分に迫り続けられることが何よりの自分の喜びなんだと改めて自身の変わらぬ価値観に触れた。

旅の行き先目的云々はあれど、深いところで自分を解放させてあげられることが一番嬉しくて、それが今回のわたしの旅のテーマだったのかもしれない。

宿の温泉が充実していてその中でも岩盤浴スペースの湿度や気温、椅子の形がわたしの身体に絶妙すぎてそこで何度も何度も深く瞑想状態に入れた。

その状態の時に自分が腹の底から形にしたいもの、既にやっていることの片鱗が見事に繋がって、現実と想いが融合する瞬間に涙が出るほど合点したり

結局隔離中や日常でもできそうなことを繰り返していたのに(特別なものを見るというより、ただただのんびり過ごしていたという点で)

いつもの場所から解放された状態でのそれは全く別の産物だった。

3次元的な考えにあまり囚われたくない天邪鬼なわたしだけど、身を置く場所って大事だ、、、っと3次元を好んで選んで生きている己の魂に敬服。笑

これまた現地で思い立って行った善光寺がすごく良かった。

路面店がずらりと並ぶ美しさ、お店一つ一つの世界観から感じるワクワク感、そしてこの歴史を感じる石畳の道はわたしの心を震わす。

鳥居をくぐってもこうやってずっと続く参道が楽しくて、だけどそれとは対照的なお寺の中での神聖で荘厳な感覚の振れ幅、ギャップに心を鷲掴みにされた。

それが兎角新鮮で、ああ〜旅の感覚ってこれなんだよなあとようやく自己内省からも抜けられたような外向きの感覚に嬉しくなった瞬間だった。

なんて言いつつ善光寺の壮大なお堂にしばらく座っていて、大いなるものに囲まれた場所でただただ静かに存在する時間は個を溶かすような不思議な感覚で満たされた。(結局瞑想しとるがな)

後半2泊はより日本海側に迫って、毎年恒例の野沢温泉村。

わたしはスキーを頑なにやらないので、またしてもひとり精神世界へ。笑

善光寺の表参道にある風情ある小さな書店で出会った本(これもまた旅の出会い)

シンとした世界、この旅でいろんなパターンのその世界に浸れた。

わたしの理想は自分のお気に入りの小さな籠があって、普段はその空間に大満足しているのだけど

思いつくたびに世界中に飛んでいける自由さ軽さを兼ね揃えていること、場所や出会う人を羽ばたく旅ごとに変えて感じる幅を大きくすること、それによって自分の籠をより美しく本質だけに削ぎ落としていくこと。自己を深めること。それによって自分自身が強く深みを持って輝くこと。

これなんだよなあって結局己にしかいかない視点に降参しつつ、いつもと全く異なる景色の中でより洗練された自分の望みに頷くのであった。