帰葉。

朝からいつもの整える時間。

秋の落ち着いた海を眺めながらふと、葉山に住んで8年目に突入していることに気づいたのだけど、今日も変わらずこの土地と自分の生き方とが息が合っているなあ、そんな気がしてニヤリと嬉しくなる。

(チェア、本、コーヒー、これさえあればセット。)

家で過ごすように浜辺で自分時間を過ごしたい。家のベランダに出る感覚で、シルクニットのワンピースを着て右手にコーヒー、脇に本、左手にチェアをもって今日もいそいそとひとり浜辺まで歩く。ありがたいことに徒歩1分の距離だ。

わたしにとってカフェに行くのは外向きの感覚だけどここ浜辺は瞑想するように意識が内向きになれるところだと感じている。自然の喧騒の中で自分の静寂に触れられるここは、何かと混沌としている今だからこそつい求めてしまう。自分の中に渦巻くあらゆる感情や思考がスン、と整う感覚が最高に気持ち良い。

整える、と言えば、長男が入院してから自己免疫ががくんと落ちたことで、月に一回のペースで病院に通うようになった。

ある日を境に目の周りにひどい湿疹ができてしまい皮膚科でステロイドを処方してもらったのが始まりだったのだけど、ひと月経っても一向に治らなかった。また同じところに行ってもきっと解決しない気がして、前から気になっていた包括的な観点で治療をしてくれる近所の病院へ行った。するとそこの先生はその後の血液検査の結果を待たずして尿検査だけで肝臓の弱りが原因だとすぐさま指摘してくれた。

事実、長男の病気の発覚、長期入院のストレスと深夜の一人時間の堪能から無意識にもアルコールに頼り切ってしまっていたのだけど、まさかこれが顔の皮膚に症状として出るなんて夢にも思わず(もしや食物アレルギーでも発症した?なんて思ったり)それをストレートにシンプルに見破った先生に感嘆したのを忘れない。

先生の論理的かつ包括的な治療はとてもわたしにとって心地が良い。問題は表面的なアプローチでは何の解決にもならないことを改めて実感するとともに、全部繋がっているということを体感覚で知れるのは新鮮で楽しい。

今は身体に大きな症状はないけれどストレスや疲労からは解放されない日々の中で月一回の診察で自分の身体について話せること、その上で自分に不足しているものを先生に補ってもらっている。日々のお酒の量もぐんと減ってなんだか色々軽くなったように思う。

直近の診察で処方してもらったこのフラワーレメディー。昔読んだ本にイギリスで盛んなホメオパシーという自然治癒を促す方法をなんとなくうろおぼえしていて、それを今回先生は取り入れてくれたのだけど(先生がこちらの提案なしにこれをスパッと選んだ瞬間とても嬉しかった)効果云々より毎日の生活の一部にそれがあることが、わたしにとって整えるという神聖な行為に繋がっている気がしてとても満たされる。

治したい、改善したいという気持ちよりも自分の身体と向き合いたい、混沌としながらも整えることを繰り返しながら心地良く生きていたいという今のわたしの望み。過去、不調もストレスも特に問題がなかったときよりも今の方がより充実して生きている気さえする。

向き合うものが多すぎて必死な日々の中、そんなふうに肩の力が抜けて実感する瞬間がたくさんある。わたしはきっと今、とても幸せなのだ。