2昨日の投稿で「人生とは」とタイトルを付けた割に

どこにも結論がないことに

自分で読み返して思わずツッコミを入れました。

なので今日は現時点での自分なりの人生の定義を書いてみます。

わたしは常々

思考と感情が人生を作る上で何より大切だと思っていて

この思考を通して得られる感情の積み重ねが人生なんだなとおもっています。

思考はあくまでフィルターであり、感情こそ人間が求めているいわゆる幸せというもの。

起こる物事や、手に入れていくもの、失うもの

たくさんありますが

どの経験にも必ずいつも感情を味わうことが付随していて。

目に見えないからこそなかなかフォーカスされないけど

わたしがこの感情にフォーカスするようになったのはとある歌がきっかけになっています。

その歌とは槇原敬之さんの「僕が一番欲しかったもの」という曲

この曲を聴くたびに毎度魂が震えて感動が止まらなくなるのですが

その歌詞の内容は

自分が拾って手に入れた素敵なものを

そばにいる誰かが欲しがったから、あげてみる。

そうするとそれをあげた人はとても喜んでくれた。

惜しい気持ちもあるけど、また拾って、またそれが必要な人が出てきてその人にあげる。

そしたら気づいたらもう何も見つけられなくて、自分は何も持ってなくて。

でもそれまでの道を振り返ってみたらあることに気づく。

それは

(以下歌詞引用)

僕のあげたもので沢山の人が幸せそうに笑っていて

それを見たときの気持ちが僕の探していたものだとわかった

今までで一番素敵なものを僕はとうとう拾うことができた

というものなのだけど

最後の3行のところを聴くたびに、体のど真ん中に衝撃が走る。

そしてわたしが自分の人生で求めていることってこれなんだと腑に落ちた。

わたしは昔から謎に向上心が高く、物にも固執していたし高みを目指して人と比べたりすることも沢山あって。

でも瞬間瞬間で幸せを感じることはあっても、それが継続的に続くわけではなく

常に何かに追われていて

その先や手に入れられるものをずっと考えていて

そんな人生にある時ものすごくゲンナリした。

ちがう、正確には一回死んだ。

今は地位も名誉も何にもないけど

でも緩く優しく生きることができていて、家族や身近な人を大切にできていて

ただこれでいいのかわからなかったのだけど

この曲を聴いたときにこれでいいんだとわかった。

この曲を聴いて魂が震えて涙が止まらないとはそういうことなのだ。

わたしの頭でも肉体でもなく

純粋に魂がYESと言っているのだ。

欲しいのは物ではなく、感情。

さらにいうと人と繋がりながら得る感情。

だから人生とはという定義に対してコレという答えを出せるとしたら

自分を生きて、世界と調和して、最高の感情を得る

このプロセスを楽しむこと。

これこれこれなんだ、わたしにとっての人生の素晴らしいこと、大切なものって。

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