先日、たくさんの商品が入荷したので、お店のバックヤードがダンボールの山で大変なことに。
今日は朝夕に長男の病院2往復(まだ入院生活は続いている、これについてはまた改めて)、合間に車で片道30分のホームセンターへ在庫保管用の衣装ケースを買い足しに行った。
運転をすることが本当に好きでどんなに忙しい中でも疲れるどころか、乗れば乗るほど元気になってしまう私の変な特性。私はどこにだって行けるんだと自由を感じられること、ハンドルを握っていると研ぎ澄まされるように動的瞑想状態になれること、この感覚を求めて一人どこまでも走れてしまう。
こちら私の相棒、人生で初めてマイカーと定義している車。
実はこれ、今年の1月にBasaraのプロデューサーが秋田へ引越し、彼が夢を追いかけるためにと手放した車。きっと彼と彼の家族に葉山で誰よりも深く濃くお世話になった私はこれを運命の巡り合わせかのように受け継がせてもらった。
そして今回これをマイカーと敢えて言っているのは、これまでの我が家の車たちは共有というイメージで所有していてもそこにパーソナル感はなかった。世帯になると大きな買い物はしていてもそれが誰のものだという定義はなくなりがちで、デザインもインテリアも夫婦で相容れないものは削ぎ落としてしまうが故に、基本すべてがシンプル思考。そんなわけで車というカテゴリーに私個人の世界観なんて皆無であったし、車の機種変にはあまり抵抗がなく頻繁に車種を変えていた我が家の実情に私はストップをかけたかった。自分にとって良いものを永く、という自分の信念を車でも体現したかったし、心底“もの”を愛したかったんだと思う。
大小関係なくやっぱり私は空間をつくることが好きで、インテリアを自由にできることは私にとって喜びだ。実用性はないがディスプレイに陶器を選んだのは単純に自分の目を楽しませたいから。車にあるべきものじゃなくても自分が美しいと感じるもの、素材・質感・立体感・色味・香りいろんな自分の美的感覚を辿ってもの厳選していけば自ずと自分の世界観へと変化していく。誰かの空気感が気づけば自分のそれに変わっていると感じた時、その「もの」との新しい世界線を見たような気がして胸が踊る。
自分のフィロソフィーがどんなに小さな物事にでも適用される時、たまらなく嬉しくなる。何気ない日常を自分の軸で作り上げていくことこそが豊かさなんだと改めて思う。そしてその時間、瞬間を積み重ね続けるんだと、また自分の信念に繰り返し頷く。
日常をどれだけ自分らしくするかは周りや起きる事象など関係なく、自分の主体的な意識にかかっていると改めて強く思う。