主役じゃなかったものの声

自分の身体との対話がうまくいかなかった。

向き合っているようで、身体の本当の声なんて微塵も聞こえていなかったのかもしれない。

ここ最近どかっと体重が増えた。

ジムもランニングも運動は定期的に行なっているのに、原因は食べ物?お酒?そんなことをトレーニング中に考えながら背筋を動かしていた時、

内臓がギュルルルルと大きな音を立てた。

原因は非常に明確

筋肉や脂肪、身体の形、肌の調子、疲れ、いつもどうやったらそれらが良くなるか考えていたわけだけど

それ全部外向きの視点なんだよなあと、内臓が存在感を出してきてふと気づいた。

ここ数年、新たに向き合っている肉体というカテゴリに、細胞や内臓は入っていなかった。というのもそれらは勝手に含まれているものだと思っていて、自分でどうこうする場所じゃない、と。

内臓の意識と繋がったことはこれまで一度もなかったし、自分がもし内臓だったとしたら、きっと悲しくなるだろう。

当たり前にそこにあるものだと思い込んでその声を聞きもせず、太ったという結果だけを見て、じゃあ運動量を増やそうとしているのなら、それはずいぶん粗暴な選択ではあるまいか。

それで良いことをしているつもりなのは、きっと脳みその視点だけだ。

内臓の声を聴き、それらがどうしたいのかそっち主体で動いた時、行動の本質が変わった気がした。

運動をした方が身体に良いから、うまくいくから、だから動く、のではない。

内臓に酸素が欲しいと言われれば深い呼吸をし、位置を整えて欲しいと言われれば姿勢を良くし、巡りを良くして欲しいと言われれば身体を動かす。

そうしたとき私は、ほとんど考えずに動いていた。

どうでもいいような話に聞こえるけれど、この小さな出来事がどこか本質をついているような気がしている。

みんながそうしてきた絶対的なものは本当はそうしなくていいのかもしれない。

私たちは何かを過信しすぎて何かを忘れてしまっているのかもしれない。

自分の中で信じてきたものの輪郭が、ほんの少しだけ揺らいだような、そんな気がした。

カテゴリー: 散文

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