珍しく寝る前のひとり晩酌タイム。自分との対話が心地よくて3杯目。

ここ数ヶ月一生懸命周りのため、お店のため、自分のために慌ただしく生きていたけれど、少し落ち着いてようやく時間と心に余裕ができた気がしていた。それなのに気がつけばスマホに対峙し続けている自分がいる。政治の動向が気になって仕方ない。目的が明確ならばなんでも良いが、情報の渦に巻き込まれて惰性でしかない瞬間があまりにも多すぎる。ちがう、私がやりたいのはこれじゃない。
いつだって私は人間としての生き方が下手くそだけどそれでも感覚だけは確かで、これじゃないときとこれだというときのそれが明確である。感覚とはすなわちそれは魂の声だ。

何でもできちゃうスマホじゃなくてカメラ、本、時計、手帳、ペン、文章を書くPC、気に入りの椅子や照明、器や衣類、それぞれの役割が独立したもの、目的が明確なものだけで自分を囲ってほしくて、身の回りを丁寧に整理する。(シンプルさの中でこそ自分の心はきっと動くのだ)
SNSで発信することと、ここオウンドメディアに綴ることは発信源は自分でもエネルギーのベクトルが全く違うわけだから、このクリエイティビティを忘れてはいけない。うっかり効率化を目指してしまう自分を戒め、軽さは大切だけど生み出すものの質こそ求めたいものだと自分の欲求を見極める。
秋めいてきたとき年の瀬の存在を垣間見るのだが、このまま惰性で終わらせないと自分にどうしたいのか今一度問いかける。そうするとやっぱり自分らしい音をただただ発していたい、自分純度が高い世界や空間なるものを小さくとも愛でていたいとものすごく力強い声が深いところから聴こえてくるのである。
