自分にとって良いものを永く
WEL’Lでいつも謳っていて、そして私自身が何より大切にしている在り方だ。
ものが溢れる時代で、なんでも手に入るそんな時代で、私が敢えて小売業をしているのはものの選び方、手に入れたその先、そしてそういう在り方でいれば余剰に物欲は湧かなくなり、そういう人が溢れたならば生み出されるものの量と質もきっと本質的な状態になると信じているからで。一つのものを愛して使い続ける喜び、そうやって自分にとって本質的である選択を繰り返すことはどんな時代であってもどんなに混沌とした状況にあったとしても、まずは個として生きやすくなる秘訣だと私は確信している。
かくいう私の最近の出来事。できれば死ぬ瞬間まで履き続けたいと思っていたほどお気に入りの靴を先日出先で文字通り履き潰してしまった。ゴム部分は付け替えたばかりだったのに、その上のヒールの軸がベシャっと潰れてしまったのだ。
お見せできないほどにボロボロなのだが(見せちゃうわけだが)、何度も修理に出しハラコのところに関しては最後は自分で油性ペンで黒く塗ったりもしていたのだけれど、いよいよダメになってしまった。靴も2足あれば十分くらいに思ってほぼ毎日のようにどこに行くにも履いていたことが壊れた原因でもある。(消耗することを恐れて大事な時しか履かないという在り方は私のセオリーではなかったのでこれに関して後悔はしていない)
この靴を履いて歩んだ人生を振り返った時、沢山の記憶が蘇り腹の底から感謝が湧いて、今日手放そう、そう思って処分した。約10年という年月を共にした。
2015年に第一子である長男を産んだ。当時母親という役割に傾倒しすぎて自分を見失いかけていて、彼が2歳になる直前に一人カリフォルニアへ旅立った。航空会社を辞めてフリーでワインの仕事をすると決意した時だった。
お気に入りの相棒のような靴を履いて、私は一歩ずつ自分の人生を切り拓いていった。自分の感覚だけを信じここまできたわけだが、そうやって踏み出してくれた過去の自分のおかげで今の形がある。その時にいつも私の一部になってくれたこの靴の存在が本当に愛おしくて当時の感覚を思い出しては泣きそうになった。
そんなことを想っていると忘れたくなくて私は気づいたらハサミを握りしめてハラコの綺麗な部分を切り取ろうとしていた。そのものの一部で良いから手元に残そうと試みたわけだが、ハサミが負けてしまいそうになった瞬間「これは感謝して全部手放そう、また新たにそういう相棒に出会って心を震わせ身に着けながら、また私は一歩ずつ挑戦していくんだ」そんなことを思ってぎゅっと靴を抱きしめ、そしてそっと手放した。
自分にとって良いものを永く、ものにはストーリーが宿り、そして命が宿る。そうやって迎えた別れも人とのそれと同じで、寂しさの中で自分に深く向き合いまた新たな道が開いていき力強く踏み出していく。必ず、自分を成長させてくれる大きなチャンスとなるのだ。
だからやっぱり私はこれからも、ものとの向き合い方を本気で体現し伝えていくことを誓う。それぞれの人生がその人にとって本質的なものであれるように、深く自分だけの幸せを感じる生き方暮らし方ができるように。