P一歳の息子をうつ伏せに自分のお腹に乗せたまま昼寝をさせて身動きが取れない時に
iPhoneの日記アプリに今の所感を書くというわたしの気まぐれな行為がある。
まさに今その状態になっていて、それを開いたときに
自分がずっと昔に書いたものがパッと目に入ってきて
過去の気づきが全身を駆け巡るように今の自分に深く響く。

________
これは大したことないとか、微妙だとか、あっちのほうがよかったとか、
それ、本当?
今目の前にあるものを否定しても何も掴めない。
むしろ目の前にあるものの素晴らしさを見ようとせず
何か違うものに価値を感じてるなんて。
単純に一緒にいて悲しかった。
それに同意したくないと思ったし、その人に何かを与える気すらなくなってしまった。
だって与えたところで何も感じてくれないよね、否定されて与えた側が気分が悪くなるだけだよねって。
何も循環しないし、願い事すら聞きたくないよって思ってしまったんだ。
これは自分自身に置き換えると同じことが言える。むしろこの気づきすごい。
自分がもっているものを見ようともせず、感じようともせず、常に違うものの方がいいなんて言うから
神様は悲しんでるんだよ。
才能だって環境だって、仲間だって、出来事だって、あるんだよ。
それを感じて欲しいの、よく見て本質を知ろうとしてほしいの。
そういうことをしていたら、もっともっと色んな世界を見せてあげたいし、豊かな経験や仲間もたくさんたくさん見せてあげたくて、どんどん与えられるんだなって。
わたしは豊かになりたい。豊かであることを感じて、もっと豊かに愛が溢れる世界にいたい。
だから今ある自分の資質や恵まれていることに気づき続け、愛で続け、喜び続ける。
夢って叶うんだよ。
いつだって望んだら神様はそのきっかけを与えてくれる。
目の前に現れるひとつひとつを大切に味わおう。
________
今の自分にとてつもなく大切な響きとなったこの文章を
神様だなんて言ったら少し稚拙かもしれないけど、高次の視点を垣間見たような気がしたこの文章を
そのまま載せてみる。