物事に向かう姿勢も意識も、自分自身の在り方も大きく変化の時。

それは仕事に限らず一人の人間として社会にいる自分であったり、環境関わらず自分自身そのものを指していたりする。

ここ数ヶ月本当に、後先考えず目の前にきたものに純粋に爆発してる感じがあって、未知の方へ未知の方へ行くものだから時々自分がいる場所がわからなくなったりもした。

銀座出店というチャレンジもそうだったし、病院といういわば社会に子を預ける親という立場としても何かと行動が先走っていたのが現状で、その瞬間に自分の欲しいものが壮大であったりどこか他人の反応ありきの物事だったりすることが多かったのだけど、そんな時にふっと、わたしが本当の本当に欲しいものはなんだ?と自問自答する。

今わたしはとても面白い経験をしていてその中でいろんな自分を見てみたいし生きたいけれど、心が求めているものはいつだって自分にしか向かない矢印の物事なんだよねって静寂に包まれた時に思うのだ。

要はもっと誰の目も気にせず自分だけの世界を愛でて生きていきたい、これはずっと変わらず純粋に思うこと。

極端な物言いすぎるのだけど、本音のど真ん中は、わたしは社会に変革をもたらすことも調和することもきっと望んでいなくて、どこにいても心のままに自分の欲求のままにただ自分の内を表現していたいのだ。

だけど共存して生きていくこともやはり楽しい気持ち良い悲しい苦しい、これぞ人生だという人間ドラマを生きるために不可欠なことだと認識もしていて、そこに疑問もなければ良いこと悪いことひっくるめ自分を進ませるものだから感謝ばかりしているという、本音で生きたい自分の真逆の生き方をしているようにも思える。

どんな生き方でも本当に何でも良いのだけど、でもその極論のど真ん中を忘れなければ結局自分を見失わない。

変わりゆく現実や自分の意識、その変化は大いに受け入れ楽しんで、だけど必ず体現し続ける在り方はいつもいつも意識しておくのだ。

外へ向く矢印を柔軟に自分にも向け続けること。

周りにどう思われようが、生きたいように生きる。

あれこれ決めすぎず、心のままにね。

カテゴリー: blog