F今日は息子たちを保育園と幼稚園に送ってからの
朝からドライブがてら一人でお花を調達に行ってきた。
お花を生ける工程も飾って眺めるのも心から癒されて大好きなのだけど
お花を持って歩く自分の姿が好きで
その高揚感を味わいに行ってる。
WEL’Lでは生花は取り扱えないものの(鮮度問題)
生花とはまた違った美しさを持つドライフラワーを販売しているのは
そんなお花を買い物をしてる自分の姿をも愛して欲しいって気持ちがあるから。
結局自分の高揚することをただお店で提供しているんだなと気づく。
(いつぞやのゆうこさんのスワッグgrow ownの回。これも高揚感で満たされたなあ♡)
と、前置きはさておき
話は全然変わって
今朝のドライブ中にぽわ〜んと頭に浮かんだこと。
わたしにとっての自由とは
物理的なことではなく精神的なことである。
(いえす。マイワールドばっちこい。)
最近ブログを毎日書くチャレンジをしているけど
前は書きたいことがあっても周りの目を気にしてなのか
言葉にすることを面倒くさがっていたからなのか
何のためにと目的を探していたからなのか
とにかく自分を出すことに抵抗があったり、波があったりした。
だから書けないときは本当に書けなかった。
でも最近はなんかもう色々
吹っ切れたのよね。
そんなのどうでもいいって。
気ままに書きたいことを書いていいって
どう思われても自分は自分だし
もっともっと色んな面だったり深いところを見せてもいいって、何の問題もないって思えるようになったら
自由の本質を垣間見た気がした。
子供がいるから気ままに旅もできない
夜も飲み歩けない
家事、育児があるから仕事に全力を注げない
とにかく自分の時間がない
これって子供を妊娠した時からすごく不自由なことなんだと思ってた。
自分を犠牲にするってこういうことなんだと。
でもこれは物理的な自由どうのこうのではなく
ただただ精神的な不自由なんだと気づいたんだ。
無意識にいらんとこまで自分にブレーキかけまくってたんだ。
どんなに母親や妻の役割があっても、それで自分の時間が少なくても
こうやって表現したいことを何の抵抗もなく
純粋に表現できること
周りの目だったり世間体なんて全く気にならないこと
こっちこそが真の自由だとわたしは思ったのよね。
(わたしはね)
ともすると
時間は自分で作るものかもしれないけれど
わたしの場合は時間がなくても自由だし
それを感じられていれば
ハッピーなのである。♡
そんな朝のドライブでの気づき。