Fお店を再起動させてから
自分の社会性というものについてものすごく考えているのだけど
自分自身があって、それを社会の中にどう繋げていくか、役立てていくか
そんなことを常に考え求めていた。
きっとそれはお店としてだったり働くからには誰かのためにとか人から感謝されることというものをただ漠然と求めているんだろうけど
結論わたしは何かに働きかけるのではなく、ただただ自分純度100%で存在していることが役割なんだと思った。
お店という形をとっていてもそれは変わらず。
わたし自身の欲求といえば
もうここに幾度となく書いてるけどとにかく自己表現をすることであって
自分の内から湧いてきたものを空間や文章で表現することに本当に心が踊る。
そこにエネルギーを注いでいたら社会に繋がっていくんじゃないか、素敵なメッセージ性を持てるんじゃないか、なんなら壮大な変革でも起こせるんじゃないか
そんなことを思っていたけどw
やっぱりわたしはわたしでしかなくて
誰かのために伝えたいことなんてないし
変えていきたいものも変わって欲しいものもない。
ただここにわたしが在る。
ものすごくここに力強く自分が存在している。
その感覚が一番しっくりくるし、それだけでお腹いっぱいになれるし
この感覚だけは死んでも譲れない。
(もしここを押し殺して、社会のために行動して成果があっても人に感謝されてもわたしの心は死んでしまうだろう)
伝えたいのは自分の存在
だから自分を表現したい
たったそれだけなんだと思う。
それは誰の反応を求めるでもなく
視点は自分が納得いくのかどうかだけ。
全部自分。笑
強いていうならそこを通じて誰かに
あなたもあなたのまま力強く生きていいし(それをしても不幸にもならないし死なないよって、ほら、わたし何にもないのにこんなにイキイキと生きてるよってw)とにかく本当になんでも良いっていうことが言葉ではなくその存在感で捉えられること
そういうことを体現してる、それだけなんだよね。
(でもわたしにとっての社会性の肝はここなのかもしれない←掘り下げ不足)
だから特にわたしの場合は
周りの反応に翻弄されたり、誰かを気にする必要なんて微塵もないし、
そうしてしまうことで自分が小さくなってしまう。
だからそもそもこの社会性について考えたことも愚かなことだったかもしれないw
周りを見ればいろんな人がいる。
メッセージを伝える役割の人もいれば、誰かを変える役割を持つ人、世界を変革させる人、新しい物を発明する人、みんなを率いるリーダーになる人、
この世界にはそれぞれが自分の中に湧いてくるものを行動にうつしている素敵な人がたくさんいる。
当たり前だけどそもそもの根本、情熱がみんな違うのに、そこと比較してわたしも同じように何かできるんじゃないかとか考えてしまったから苦しくなったんだ。
本質じゃないことって体感覚でわかりやすく
苦しい、違和感、モヤモヤっていうサインがあるものだと自分の中で捉えてて。
ただ在る
すごく抽象的だけどわたしにはこれがすごくしっくりくるんだ。
自分の内から湧いてくるものを自分のために表現する
それを力強く繰り返す。
それがわたしにとっての美しさであり
美しく在るということなんだ。
結局これからもやることは変わらないんだなと
相変わらず目新しいことはないけど
いつも考えて深掘りして確信して、その繰り返し。