C自己分析が深まるとある夜

わたしは自分の1番の強みを

思考することだと思った。

わたしにとっての”美しい”の定義だったり美学とは、自分の核にいかに触れられているか、核にあるものを表現できているかみたいなところがあって

その自分の核の中には強みとされる資質もあると考えていて

統計学も含めて自分にとってのそれはこの思考なんじゃないかと確信めいた瞬間があった。

だからこそ、このブログは自分の世界観だったり、核を表現する上で欠かせないどころか一生続けていきたい貴重なライフワークなわけで(WEL’Lという空間とね)

それゆえに自分の中でブログというカテゴリーというか大衆的なネーミングにどこか違和感を覚えていた。

なんて言いつつそのほかの言い回しや造語もなんかな〜という感じがあって(どんどん独りよがりな世界に入っていきそうでw)

ブログはブログのままでその自分が生み出すそのものにタイトルをつけるという方向に気持ちが動き

では自分が書くものを一言で表すとしたらいったいなんなんだろうと。

その問いに

「存在している」「生きている」

そんな言葉が出てきた。

アクセサリーひとつひとつに名前をつけたときのように

その単語を世界各国のいろんな言語に翻訳をしてみたりして自分の心が躍る瞬間を今か今かと探っていたのだけど

自分がしっくりくる響きや文字の見た目(←この感覚わかるだろうか)に出会えることはなく

何も響くどころか、途方もない迷走が始まり

もはや一体自分は何がしたいんだろうとスマホとのにらめっこをやめた。

疲れた目を癒すべくそのままソファで横になって目を瞑り

ここからまた自問自答が頭の中で繰り広げられるのだけど

書物のような感じなんだよな〜

-例えばどんな?

哲学者のような思想が一発でわかるもの!

-例えば誰のどんなタイトル?

その時にふぁっと!デカルトのコギトエルゴスム(彼の「省察」という著書によって生まれた言葉)が頭に直撃するように出てきて

“我思う、故に我あり。”

興奮するままこれじゃん?もはや、わたしの言う存在と、はじめの強みとして出てきた思考がまさにドンピシャで繋がって

この言葉に高揚感が止まらず、これ以上こねくり回すことなくシンプルにこれだと思った。

わたしは思考することで自分の存在を確信し喜びを見出せる、そういう存在である。

たとえ明日この世がなくなっても、私は思考を止めることなく、そしてそれを書き続ける。

わたしなりのコギトエルゴスム。

もっともっと自分を自由に表現していく、腹をくくるためにこれをつけたんだ。