丁寧な暮らしとはなんだろう。

朝は早く目覚めて、白湯を飲み、花瓶の水を変え、植物に水をやり、好きな音楽を掛けながら、コーヒーをゆっくり淹れて、読みたかった本を読みながらいただく。

時計を見たらまだ5:30で

それからゆっくり朝食を作り始める。

なーんて

これはいつぞやのわたしが思い描く理想の丁寧な暮らしでした。

(YouTubeでこういうモーニングルーティンを見るのも大好物w)

でも実際朝は7時くらいまでベッドでウトウトゴロゴロしているし

今家族4人で子供は小さく日々騒々しい朝を過ごしていたりしますが

でもその中に自分なりの丁寧さをとても感じられているのです。

それはなぜなら

丁寧さとは自分の価値観を満たす行為のことだと考えるから。

朝は起きたらすぐに炭酸水を一気飲みするのが習慣で

気持ちが良い。

(それが体に良いとか悪いとかは、わたしの価値観にはあまり存在しない)

グッときた道具を持つと最高に幸せという自分の価値観を大切にしていて

この炭酸メーカーはめちゃくちゃ心奪われて手に入れたものなので

これを朝一触るのが最高なのです。

そしてお気に入りの器でコーヒーを飲む。

(コーヒーはワンタッチでマシーンでウィーンと淹れとります。朝は素早さ大事。)

コーヒーの飲み方も

ご飯を作りながらだったりとか

息子のオムツを替える行為も挟みながらだったりしますが(現実)

それでもお気に入りの器に触れてコーヒーの香りにひゅい〜となるだけでほんと至福。

(こういう豆から挽いてゆっくり淹れるのは大抵夫でそして休みの日か平日の子供がいない時間。これは理想だけど、必ずしもいつもこれが100点ではない。状況に応じてスタイルは変わっていいと思ってる)

あとは大好きなストウブのお鍋でお味噌汁を作って炊飯器で炊いたご飯とともに

お気に入りの器でご飯を食べる。離乳食をあげたりバタバタしながら。

もちろん理想は鍋で炊いたご飯をおひつに入れて食卓に出したい!

(そういうご飯を食べたいというよりこれはプロセスに惹かれる)

でも今の自分の状況の中で優先順位を決めて上から満たされるものを選んでいく。

だからこれはいつかでOK。

ここまで書くとわかるのが

どんなに騒々しい時間が流れていても

わたしはグッときた道具や器に触れてることが、幸せで時が止まったかのように満たされる。

一般的に丁寧さとは

一つ一つの動作に注意や気配りが行き届いているさま、などという風に表現されていますが(ウェブ調べ)

もちろんそうなんだけど

でも果たしてそれで自分の心が踊るのか?

わたしが昔丁寧な暮らしに憧れてそれをそのまま実現できなかったのは

丁寧の先にある心地良さを理解していなかったから。

丁寧な暮らしとは丁寧で心地の良い暮らしとも捉えられるんじゃないかな。

心地良さとは人それぞれ自分だけの感覚。

となればその前提の丁寧の定義すら自分の価値観で選び取るものだと思うのです。

丁寧さとはつまるところ

自分だけの美学であるなと。

わたしがよくこのブログで

わたしにとってと多用するのは

人それぞれ持っている心地良さだったり美学だったりがそもそも違うから。

わたしにはわたしにしかわからない心地良さや美学があってそれが誰かにとってはそうではないから。

世間の常識や人のそれらに惑わされることほど面倒くさい事はないと思ってて

むしろそこを超えて、それもいいね!でも自分はこれ!というものができたとき

日々の暮らしの豊かさ、そしてそれを積み重ねることで人生の豊かさが

大きくなっていくと思っています。

WEL’Lのコンセプトの

美しく在る喜びを創造する

というのは

すなわち

自分だけの美学をもつ

とも言い換えられるなあと。

今世自分というものに生まれて

自分だけの感覚、感情、本音、核にあるものにしっかり目を向けて

純度高く生きていきたい

そんなことをいつもいつも思います。