とある平日の昼下がりのこと。

9歳になる長男が

「別に嫌とかじゃないけど毎日が同じことの繰り返しに思える」

つまらなさそうな顔をしてそう言ったことで、私の心に火がついた。

こういう時、どこか楽しいところへ行くとか、新しいものを買うとか、どうしても外へ「自分たちを幸せにしてくれる何か」を求めてしまう。だけどそれだと持続しない高揚感で終わってしまう可能性もあり、また同じ感覚になった時にもっともっと!となってしまいがちだ。だからこそその選択は最後の砦にして、まずはすでにあるもので自分を満たすことはできないか?という問いを持ち考えてみる。

毎日が同じ、というのは完全に慣れ。生活の馴れ合いはいつもあるものが当たり前にそこにあるから生まれる思い込みなのだとしたら、そこから無くしてみたり違う役割を持たせてみる。新たな感覚を生むことを丁寧に探るのだ。

そんなわけで私なりの回答が出た。題して「サプライズ、家に帰ったらリビングがダイニングになっていた!」現象を長男にプレゼント。

お金をかけずとも家の外へ出ずとも、高揚感を生む。これ実際にやってみると陽の当たる雰囲気とか、いつもと同じものに座っているのに見える景色が変わるとか、世界を違う角度から見ているような新たな感覚に面白さを感じずにはいられない。もちろん不便なことも生まれるけれどそれがまた新鮮で私たちをワクワクさせる。

元のダイニングスペースにはソファを持ってきてみたわけだが、違和感はあれどここも何だか新鮮だ。ホテルに例えるならラウンジ的な。(対比がホテルになる感じもまた良い)

私がいつも思うのは、旅行やショッピング、外食などお金をかけて得られる体験をすることはもちろん刺激的で嬉しい楽しい気持ちになれるものだけど、繰り返される生活そのものの感覚を丁寧にみていくことの方が自分の深いところから満たされる気持ちになれるので、こちらを先に整えた方がきっと豊かだということ。

そして内側を充実させた先にある外側に何か求める行為は、より自分の欲しいものだったり得たい体験をドンズバで選択できるというメリットがある。自分のそれに対して的を得ていて何でこんなの買ったんだろ的なハズレがない。その順でいけばシンプルに全ての選択の質が上がる、それはすなわち人生の質が上がるということだ。

今回のことで言うと、模様替えをして息子と共に新たな空間を堪能したのちに、思い立ってお花を買って飾った。元のリビングの空間の方が広いので飾るものも大振りが心地良い。そうやってさらに豊かな感覚が重なっていくことに歓喜する。

随分くどくどと喋ったけどとどのつまり、内向きを動かしてからの外向きの行為、そういうことを私は息子に体感覚として伝えたかったという話。