昨日は都内へ。
弊店でお取り扱いをさせていただいている、HAKUJI10周年を記念したインスタレーションを拝見しに。

空間と作品、流れる時間。
デザイナーが服というモノづくりを超えて表現したい“質”と“感”を共有させてもらえたような、とても美しいひと時だった。

丸胴編み、と言って専用の吊り編み機でゆっくり編み立てる製法は、HAKUJIのスタンダードである。
しかしそれは、海外だけでなく国内においても希少な技法であり、決して簡単な事ではない。
そもそも服を消耗品と考えるのであれば、こういう技法は手間暇そしてコストがかかりすぎて、ものが溢れる現代においては必要がないものなのかもしれない。
だけど、服を器や家具などと同じように、ずっと使い続けたり芸術作品の一つのようなものと捉えるのであれば、胴吊り編みの技法は選ぶ基準の最たるものになり得ると私は思う。
視覚的な美しさと同時に、耐久性や心地良さもそこに付随してくるわけで。
機能面においても永くあり続けるという観点においてもそれを深く満たすからである。

いつも言っていることだが、HAKUJIのデザイナーは服をデザインする以前に、糸から素材を探求し生地となり結果的にそれは服という形になる。
だから彼女の生み出すものは体に纏う“芸術作品”であり、それは決して消耗品ではない。
服という形をしているが、そういった分野にカテゴライズされて欲しくないほどに、芸術的なエネルギーを放っている。

今回この世界観だったり物作りの姿勢、そしてデザイナーのメッセージを生身で感じた時に改めて、ここ最近自分の中で混沌としていたことに答えを出せたような気がした。
私はこのブランドの真髄に惚れていて、これ以上扱う服のブランドを増やしていないのはそれが理由だということを。
本質的なものであり永く使えるもの、作り手が魂からの表現で作っているものに私は共鳴する。
自分の感覚を頼りに、そういうものにいつか出会えた時には増やせばいいし、そうでない時は無理して広げたりはしない。
自分を大きく見せようとしたり、誰かの期待に応えようとする意識は本質ではない。
そして今すでにあるものをより大切にしていくのだと、また腹を括る。
改めてお店の在り方と自分自身に問う、研ぎ澄まされた時間だった。
仕事について意識がより高まったし、お客様にものを繋ぐ志を、またひとつアップデートできたように思う。
Kanae Okamoto
岡本佳苗
