朝、心から望んでランニングをするようになったのはここ2ヶ月の話。ずっと逃げ続けてきた走ることに向き合う時がきた。

私の中でまた何かが変わりつつある
しんどいことが嫌いだった。体力もなければ体も重い。自分なりの心地良いやり方で苦手なこともできると向き合っていたつもりだったけれどどこか甘い。精神性や知性の向上ばかりに目を向けて肉体をおざなりにしてることに私は悶々としていた。
不思議なことに本音でやりたい(深いところでやらねばならないと気づいていること)というものはここだというタイミングでしっくり感を持ちながら目の前にやってくる。きっかけは大好きなお酒を浴びまくった誕生月の4月。二日酔いの日々が多く私の心と身体は楽しいと辛いの繰り返しで矛盾していた。
そんな折に週に1度通い続けているパーソナルジムで見兼ねたトレーナーさんが、飲むことが好きなら身体にもバランスをとトレーニングにプラスしてやんわりランニングを勧めてくれた。その言葉とタイミングが自分の中に痛いほど刺さって、快楽に飲まれがちな自分と決別すべく、そしてずっと逃げてきたものと向き合う勇気が湧いてきた気がして、やると心静かに決めたのだ。

お酒はやめないけど後悔しない程度に
さて、肝心の走りについてだが、ペースは自分の息が上がりすぎないところを見極めめちゃくちゃに遅い。時々ガラスに映る自分はよれよれしていて死ぬほどにダサい。だけど外の目を気にせず自分の内にだけ意識を向けることに集中しているとたまらなく気持ちが良いのである。
走りながら、いろんな自己対話も拡がっていく。周りの感覚がなくなればなくなるほど自分の内なる深いところに入っていく。走り方とは生き方にも通づることだと自分なりの視点の抽象度の上げ下げもなんとも楽しい。

コツコツできる物事が増えることも嬉しい
やってみて気づいたのは、私はきっと自分に没入するために走っている。ゾーンに入るとか無我の境地とかそういった類の感覚である。体を動かすことを超えてやっぱり私の愛着はそこにあって、それが形を変えても確かに在ることに歓喜してやまない。だから頭ではなく心でやり続けているのだと思う。(まだまだこれからなんだけど)
最後に、年始に立てたテーマ(こちら)が折り返しに来て確固たるものになっていることを実感している。自分を満たすために、決めたことをやり抜きその先の自分に会うために、私は淡々と走る。ただひたすらにやるのだ。