ピンときて動いてみると物事は想像以上に展開することがある。

それは遊びだろうが仕事だろうが物事にそんな境界線はいらないし、展開するかどうかなんてことも期待せずに、ああここ高鳴るなあという一瞬一瞬を探っていく。

昨年9月に長男の2年と半年間も続いた入院生活が終わった。計画性のある出来事では決してなかったのでいつ終わるかもその先のことも全く考えていなくて、いざゴールが見えるとこれから私どうする!?となったわけで。と言っても何か大きく変化したいとかそういった欲求はなかった中で、シンプルに今持っているものを少し軽くなりながら丁寧に続けていた。だから今の延長でこの先の自分について頭に思い浮かぶことといえば、昔のように海外に飛びまくる?だったらお店の商品の買い付けを国境を超えてやってみようかとかそんな事をイメージしてみたのだが、不思議と今の私の心は高鳴らなかった。

未来が見えない時は無理矢理大きいことを変えなくて良い時だとも私は思っている。日常が淡々とあることにまずは本当に感謝だし、人生をついドラマティックにしたくなる時こそ冷静になって今ある平凡を愛してみる。自分を奮い立たせてまで何かすごいと思しきものを取りに行くことで大切なものを失うこともしたくない。

そんなわけでこれから先どうなろうが何も起きなかろうが「ま、いっか」と気楽な状態になった時に、新たな展開が本当に予期せぬ形で目の前にやってきた。

今私は、新たな場所に新たな自分を見ている。それは現状変化というより言うなれば現状深化という感じで、全く自分の中の選択肢になかったことなのに一番自分らしいと軸が濃くなっていく感覚の中にいる。

まだまだ展開したばかりで何も安定していないし未来の確証もなければ何も起きないかもしれないけれど、この自分の内の瞬間の変わり目を記しておきたくここに書いてみる。今回のことを理由にお店を辞めることも今の場所からいなくなることもなくて、それは本当にただ自分のやりたいこと、表現、世界観がただ深まっただけだということも。

私の理想は拡げることではなく、濃く深くなることでありそれはこれから先もきっとブレない在り方だ。先のことはわからないが、自分がどう在りたいかだけはいつも明確なのである。