余白がないのよ、だから何?

目が回るほど忙しかった2月。

葉山に移住してきてもう10年以上経つけれど、ここの土地でこんな状態は初めてじゃないかと思うほど。

仕事、家庭、プライベート、嬉しいことも苦手なことも、そして自分を生きるために譲れないこともごちゃ混ぜに行動を続けている。
なんなら新しいことも始めたりしちゃってて。(タイミングは来たらGOだから)

何かがリスケになった時、それを動かせる場所がなくて初めて自分に余白がないことに気づいた。

物理的に苦しい、、となりかけた時、ふと、3次元の視点に囚われすぎている自分にハッとした。
もっと離れた位置から見てみると、それは新しい景色であり、うまくこなせない自分を良いじゃないのと思った。
離れた位置とは、それは例えば本当に死んだ後、このシーンを改めてみた時に自分がきっと思うことだったりね。

そうやって多角的に自分や物事を捉えてみると途端にこの状況がカラフルになる。
シンプルがいいとか余白があるとかそんな状態はとても素敵である。わかるの。
だけど、それはそうじゃないことも経験したり体感してからそう在ると、なお嬉しいものだと思うから。
どちらの状態であっても、だから何?で、良いとか悪いとかどっちでもあるしどっちでもないのよね。

そんなことを考えながら、今もなおto doに溢れている自分を笑えないけど、笑っておこう。
持ちすぎているものを減らす前に、こうあるべき、という思考が先に減っていけば良いじゃない。

新たな月も身体は忙しくとも頭は自由に、を心がけ、鼻歌を歌いながら髪の毛振り乱して自分を面白がって見守っていきたい。
抽象と具体の視点を大切にする。
駆け抜けながら自分の声を聞くこともやってやる。

どうやらこれは今までの自分のこれくらいというリミッターを疑う時がきたらしい。

カテゴリー: 散文

ショッピングカート

0
あと ¥22,000 で送料が無料になります。
0%
image/svg+xml

No products in the cart.

ショッピングを続ける