今日から新学期スタート。

色々抱え込んだり悶々としたり、どうでも良いやと思ったり快楽に走ったり、人間くさいことを沢山した春と冬が怖いほどに錯綜した(気候も自分自身も)3月。結局は自分の核心をつくことが出来ていなかった、そう今は感じている。

今日、子供たちの進級と共に私も前へ進んだ気持ちになり意識を切り替えた。

国内外問わず世の中の情勢がどうにも暗く感じて飲まれそうになる昨今、個としてこの雰囲気に決して流されてはいけないと強く思う。大きなことは選択できなくとも日々の小さな選択、自分の意識や気分の選択は自分でできるからこそ、主体的であることを常に忘れない。これは私が選んだ、という力強さはどんな状況も楽しんでやるという気概を感じるがゆえに、物事の良し悪しの基準はなくなりどんなこともきっと面白くなるはずだ。

そういう意味で自分を幸せにできるのは自分しかいない、そのためにはもうひとつ「丁寧に生きる」こと。私が掲げているそれは、自分の内に矢印を向け自分だけの欲求や価値を明確にした上でそれらを一つ一つ大切に、そしてしっかり味わうことを意味する。

周りは本当に関係ないし、基準も自分だけのものであり、どんなに些細なことでもとんでもなくでっかい野望でもなんだって自分の中にあるそれが何よりも自分だけの価値を持つのである。

そして自分に満足しているという感覚はその生き方ができているかのバロメーターとなる。どうでもいいことに躍起になりかけた時は、それは自分にとって本当に価値あるものでリアルに手に入れられたとした時心を満たすものか深く問うてみたり想像してみたらいい。(意外と自分にはそんなものは要らないと気づくことの方が大半だ)

一番わかりやすく私たちに道を教えてくれるのは感覚感情でありそれを羅針盤として信頼する。心地が良い方へ行けばその道が自分の道であり、嫌だなと思うときは気分が良くなる思考と行動をしよう。ただし心地良さとは快楽のことではない、どんなに困難でもやっていて深いところで高鳴るようなそんなものも指すはずだ。

他の誰でもない自分に常に問いかけ、核心を逃さないように丁寧に探っていく。そうやって内を向いていたところから顔を上げ後ろを振り向けばきっと、自分だけの道ができていると信じて。