丁度、伊勢丹が終わってからセルフイメージが変わったというか
外見に対してこういうのが良いな、そしてこれはもう握りしめてなくて良いなと思うことがふとあった。
着るものは一番わかりやすく自分の心境の変化を現す。
お店に立つ時は理想の自分でありたいなと意識していて、私はジャケットスタイルがたまらなく好きで纏うと身体と心に妙にしっくりくる。しかし夏には暑いなあとなにかちがうスタイルを探っていたのだが、まず最初に思いつく毎年定番の黒のノースリーブが今年はなぜだかしっくりこない。
そんな時に偶然出会ったこのスケスケジャケット、これに弊店限定カラーで作らせてもらったBasaraのブラを1枚で着る潔さがなんとも良いバランスで。そこにこれまた流れの中で出会ったパンツ、強めのデザインに色もボルドーを差し込むのがとてつもなく私の今のこれが良い、を体現できていてニヤニヤしてしまう。
そしてもう一つ、これはもう握りしめなくて良いなと思ったのは、顔のホクロ。こちらは思い立って一気に3箇所取った、先週のこと。
子供の時はものすごくコンプレックスだったのだが(大きくはないけど数があることが本当に嫌だった)歳を重ね、私は私と自分の軸なるものが確立してからは、そういうネガティブをいかに自分だけのカッコよさに変えられるかということに重きをおいていたように思う。私が憧れたり惹きつけられてしまう人って天から与えられた美しさをもつというより、個性的で一見強いコンプレックスを持っている人、むしろそれを武器にしているかのように自分だけの道を信じて歩き続け他者が比較対象にもならないくらいに自分自身を確固たるものにしている。それ故に強いオーラを放っていて、それに私は強烈に惹かれる。
だから私も持ち合わせている自分のコンプレックスは消さなくていい、軸がもっともっと強靭になればシンプルに自信がつけば、いつか自分の持っている全てを愛せる日がくると信じて疑わなかった。神は乗り越えられない試練は与えないってやつだ。気づけば顔のホクロは気にならなくなっていて、そんな自分にまた愛が湧いた。
だけどある日ふと(伊勢丹がおわって2日後のこと)、別にその思想を握りしめすぎなくてもいいしむしろ無くても良くない?あっても無くてもどっちでもいいならもう取っちゃえと思ったわけで。思考がふわっと軽くなってその感覚を大切にしたいとすぐに身体が動いたのだ。散々コンプレックスを武器になんて言いながら、それを取って鏡で自分の顔を見た瞬間、たまらなく嬉しかったことは笑いに変えていきたい。
どこか矛盾してるかもしれないが、過去に生きないってすごく気持ちが良い。
あのとき思ったことはあの時の自分を動かしてくれたもの、今思うこと感じることも今の自分に必要な刺激を与える。自分の心をいつも自分の頭から解放してあげたいし、そしていつもセルフイメージを自分の中で心の高鳴りと共に丁寧に更新していくことは大切だと思った。
何事も道しるべとなるのは思想思考を超えて、やっぱり今この瞬間の感覚なのよね。