L最近会う人だったりメッセージをやり取りする人だったりに

かなえちゃん本気出してきたね〜!

と声をかけてもらえる(いや、きっといじられてるw)

 

確かにわたしは今やる気だ。

去年の今頃はお店を開けることもなく日中もほぼ寝てたわたしがw

 

今は営業時間外にも

自分に集中するためにお店にこもって作業をしたりするようになった。

(なんかもうお店というよりアトリエと化している今日この頃)

 

 

 

でも去年が不幸で、今は幸せ真っ只中かと言われれば

 

 

心地良いかどうかが常に自分の正解であって

物事を成しているとか成長しているとかそんなものにもはや価値を持っていないのでw

どっちも気分が良くて、どっちも心地良かったな〜が答え。

 

 

 

側から見たらコロコロ変わっているように見えても

芯にあるのは

 

その瞬間の自分だけの心地良さの選択をし続けている

 

ただそれだけの話。

 

 

 

そういつだって物事の捉え方は内側だけ、自分がどう感じているかだけなんだよね。

 

 

(はあ〜可愛いなって自分がセレクトした器を愛でる時間が心地良すぎる、なう)

 

 

 

 

 

結論何が言いたいかって

 

心地良さって

 

人によっても自分の状況によっても本当に千差万別で違うということ。

 

めちゃくちゃ当たり前のことなんだけどね。

 

でもこれって今の世の中フェイクが多すぎるじゃない?

 

 

 

だから常に自分に今この瞬間心地良いかどうか問い続けなければいけないし

感じて体感して確認しなきゃいけないし

他人の心地良いを自分基準に捉えて否定しちゃいけない。

 

 

いつもだったらなんでも良いよ〜という言い回しをするところだけど

 

この心地良さ問題に関しては

 

 

法律で整備してほしいくらい。w

 

 

 

だって人間が生きる上で本当に大事な大事な芯の部分だから

 

そこがずれるとそこから派生する行動も思考も全部ずれるのよ。

 

 

 

そして自分だけの心地良さの追求がつまるところ自分を生きることに繋がるわけで

 

その始まりなんていつもちっぽけでしょうもないことがほとんどで

 

 

いきなり独自性があって素晴らしいことなんかじゃない。

 

 

 

誰しも何かを始めなきゃいけないわけじゃないし

何かに夢中にならなきゃいけないわけじゃない。

 

本当にそういう芯から派生した部分のところで色々判断しがちなんだけど

見るべきポイントはそこじゃない。

 

 

何かをやめることが心地良いという人だったり状況もあるし(大抵はこれがほとんどな気がする)

自分ではなく誰かのためを思うことが心地良い人、状況だってある。

必ずしも行動じゃなくて、思考を変えるだけで100点満点みたいなこともある。

(行動こそが正義みたいなのあまり好きじゃない。もちろん行動は大切だけどそこまでのプロセスもあるし常にじゃないよね)

 

 

 

ちなみにわたしは寝ながら何もしないこんな自分も最高って思うことだった。

懐かしの当時の記事

 

 

心地良さの追求って地味だし、社会的にはなんの価値もないようなことばかりな気がする。

 

 

それが段々と精査されて、明確になって変容していって、何度か混沌として、そしてある日突然進化を遂げていたりする。

 

 

 

心地良さについてはなんだかものすごく熱くなってしまうw

これに関してはこれからももっと言語化していきたい。

(あ、新しい願望できた)

 

 

 

 

なんか最初に思い描いてた内容と全然違うものになってしまった、今日のブログ。

本当に毎日未完成を丸出しにしすぎて、やってることが未知。w

でも今のわたしの心地良さはこうやって新たなチャレンジの中で新しい自分に出会うこと。

 

 

うん、いつもブレてないぞ、わたし!