K人間は葦のように弱いが

広大な宇宙をとらえるほどの思考の力を持っており、

それゆえに尊い。

つまり人間の尊厳は考えることにある。

したがって、人間はよく考えるべきであり、よく考えることで、よく生きることができるのである。

(わたしのバイブル倫理の教科書p.134パスカル大先生はかく語りき)

このパスカルの言葉が胸熱すぎて今すごく響く。

わたしは常々葦でいいと思っている。

葦がいいのではなくて、葦でいい。

どんなに無敵でイケイケどんどんスター状態になってもこの意識を忘れたくない。

(なったことないけど←)

今月はこんなことを予測して「猫はこたつで丸くなる」をテーマにしていたわけじゃないのに

ちょっと立ち止まって色々考えすぎて瀕死状態にある。w

(猫とこたつの概念全然ちがうんだが)

さらにはちょっと前は走りながら気づいたこと、感じたことを周りに垂れ流しにしていたのだけど

今はとんでもなく考えすぎて

周りからの言葉が有難くもありながら、さらに自分を混沌とさせるから

パターンを変えて自分の内で完結している最近。

(ゆえに異常に静かなわたし)

今はただただ内にある自分の思考を広げるだけで

正解とか答えを求めていないのかもしれない。

たとえば道に落ちているものを手にとって空想を広げるように

それを捨てたほうがいい、持って帰ったほうがいいじゃなくてね。

(たとえ話がもう空想状態)

どうかどうか、考える葦でいさせてください。w

わたしは弱い。

だけど考える。

考えすぎる。

だからわたしの頭の中は広大だと思う。

弱いがゆえに、広大。

そんなことをこの言葉を見た時に思って

ちょっと嬉しかったのよね。

人間は惨めな存在であるがそのことを知っているから偉大である。

人間は、悲惨と偉大、虚無と無限の間をさまよう中間的な存在であり

このように矛盾した存在である人間は自分の悲惨さから目をそむけ

娯楽や社交、競争や戦争といったもので気を紛らわそうとする。

人間がそうした状況から脱することを可能にするのは「理性」ではなく「心情」であり、この心情は神に通じている。

(同じくaccording to パスカル大先生p.135←)

人間らしい自分が好き。

ふふふ。

どんな状況も楽しもうぞ。♡

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