Kわたしは生まれつきなのかなんなのか

哲学的な思考、視点、考察を好んで仕方がない。

このブログの色というかこういう書き方になってしまうのは

間違いなくそういう自分の潜在的なものを表現しているからだと思う。

 

 

学生時代を振り返った時に

わたしは高2の科目選択の時になんとなく直感で自分は将来グローバルな道に進むだろうと

当時点数が高かった日本史ではなく、先を見据えて苦手意識のあった世界史を選択したことを今でもものすごく覚えている。

とはいえ暗記は割と得意だったことや歴史のストーリーが面白かったこと、先の目標みたいなモチベーションがあったから、結局世界史も好きだったんだけど

 

それ以上に盲点的に自分を惹きつけてやまなかった教科があって

これが今、自分の本質を引き出すキーポイントになっている。

それが

 

倫理

 

だった。

昨日の投稿の今でも教科書を携帯している理由はここにあって今日はそのお話。

 

 

 

倫理は哲学だったり宗教だったり、人間の心理みたいなものを総合した科目だと認識してるのだけど

授業の最初の方に古代ギリシャの哲学者たちが出てきて

人生のほとんどを対話や真理追求に費やしたソクラテス、プラトン、アリストテレスを初めて知った時は衝撃だった。

 

無知の知だとか

問答法だとか

魂への配慮だとか

 

 

物事の真理だったり、深くて本質的なものがそこにはあって

 

そのときは理由はわからなかったけど

ものすごくこういうことに触れられて高揚していたんだよね。

 

初めて学校の勉強が受け身ではなく

疑問や自己対話を持って学びを得た瞬間だった。

 

 

 

 

同様に大学の時もわたしは法学を専攻していたのだけど

当初夢も希望もなく大学の目的もわからずに過ごしていたわたしは

いつもは仲良しの友人と惰性のごとく通例的な科目を一緒に選択してたのに

 

今でも忘れない哲学的に政治にアプローチする西洋政治思想史という科目があって

これをひとり勢いで選択した。

(難しくて単位が取れないからとめちゃくちゃ不人気な授業で友人は受けずw)

 

それが高校の時の倫理と重なって毎度教壇近くでひとり前のめりになって聴いてたんだよね。

(授業終わりに興奮して先生に質問までしてたw)

 

そして結局テストも満点近い点数が取れた。

(確かデカルトについての論文だったはずで、今でもテストでウキウキしながらペンを走らせてたあの感覚を忘れない。法律の暗記や論文は苦行でしかなかったのに)

 

 

今でも学生時代を振り返って自分が高揚しながら受けた授業はこれくらいしか思い浮かばないのだけど

 

 

将来を考える時も社会人になってからもこれをどう仕事に繋げていったり自分の人生に繋げていくのかわからずずっと蓋をしてた。

 

哲学とか思想なんて実生活では本気で無意味なことだと思ってた。

 

自然と持ってしまう哲学的な視点も他人には理解されないし、面倒くさい人だと思われるのが嫌で自分の内で終わらせてた。

 

 

だけどわたし自身、常識や社会のこうあるべきが取っ払われて

人生に目的やゴールがなくなった今

日々の一瞬一瞬自分の心が踊ることを選択して良いのならと

 

当時の自分の高揚していたあの感覚に再び浸って感じ切りたいと思った。

 

それと同時にひた隠しにしてた哲学的な自分でも良いと少しずつ思えてきた。

 

だからあの時と同じようにこんな歳になってもわたしは高校の教科書を持っている。

(冷静に考えたら変だよねw)

 

 

そしてあの時から進化したのは

自分が生きていく中での気づきや本質のようなものをここにアウトプットしてること。

 

何にも生まないけど

自分のエネルギーが全開になるからやっていて楽しくて仕方がない。

 

 

だけど何も生まないからこそこれを(この形態を)世界にアウトプットしてるのに少し葛藤があって

こんなことやって意味あるの?もっと人が読みたいもの、お店に繋がることを書くべきなんじゃとか

こういう自分出したら普通にキモいよな〜とか

めちゃくちゃ考える。笑

 

でも昨日インスタでこんな投稿をしたら

 

 

いつもメッセージでわたしより深く考察してくれる素敵なフォロワーさんがいて

公でこのコメントを頂いて

こういう視点が大好きすぎて嬉しくて嬉しくて

 

もうこういう自分をもっとさらけ出していいやとなんだかすごく

 

自分に許可できたんだ。

 

そしたらなんだか心がすっと軽くなった。

昨日の憂鬱の中にまたひとつ光が見えた瞬間だった。

 

 

結論何が言いたいかって

 

意味がないと思しきことも

自分から溢れてくるものは

とめどなく流してあげようっていう。

 

人生どうなってもいいし、そっちの未知すぎる未来の方がわたしは心底見たいのよ。

 

そして何よりこういうことに触れてる自分が、魂が、ものすごく喜んでいるという

 

結局そこ。

 

 

 

もっともっと人生を自分の喜びに満ちたものにしよう。

他人に理解されなくても

自分が高揚することを選択していく。

 

 

自分の人生全部包括して

もっともっと大きな視点で生きる。

 

 

そんな人生がいいなって改めて思う。